そのノイズが雑音でない時がある。
それは往々にして部屋に誰も居ない時だ。
松下は座ったまま本のページを捲る。横に置いていあるトランジスタテレビは、松下の父が経営している会社の不良品を貰ったものだ。一度は部品を変えて、何か新しいものにしようとしたが、ふと思い立ってやめたものである。
閉めたカーテンの向こう側。ノックの音。
鍵はトランジスタテレビの音が変わった時点で開けている。仮に松下の予想している来客でなかったら、結界に異変が現れるはずだ。
今日も異常なし。
窓を越えて来た人影を視界の端に捉えて、松下はようやく本を閉じた。
遠くで虫の鳴き声がする。今日の月はやたら綺麗だから、その来客の背後も薄く明るいだろう。
「何しに来たんだ」
どこにでも行ける少年の手には、大きなバックでもトランクでもなくブラウン管テレビがあった。
「間食でもどう?」
ボーダーの服に半ズボンという姿。やや丸っこい顔をした少年は、そう言って微笑んだ。
松下が悪魔くんなら、彼はテレビくんだ。
「ドーナツ食べる?」
「今日は煎餅じゃないのか?」
テレビを足元に桟に腰かけるテレビくんこと山田を見ながら、松下は頬杖をつく。
「煎餅はあまりコマーシャルがないのだよ」
「だろうな」
ニュースのためだけにテレビをつける松下が見る限り、煎餅のコマーシャルなど見た事がなかった。
「ドーナツは嫌いかね?」
「甘いものは好きじゃない」
甘くても辛くても新商品は必ず手を出す性分らしい山田は、来る度に食べ物やら機械やらを薦めてくる。
機械なら遠慮なく触らせてもらっている。父のためではなく、知的好奇心と改善余地を考えるためだ。知恵の輪で遊ぶ感覚である。
「おいしいよ」
圧力をかけられているわけでもないのに断りにくくなるのは、押しつけがましいわけでもなく、どこか柔らかく彼が言うからなのだろう。
「なら、一つだけ」
仕方ないなとばかりに答えれば、山田が微笑むのが見えた。
恐らく、それが見たいがために甘いものを口にするのだろうと思う。
「珈琲は?」
「ブラックで頼む」
「わかった」
一つ頷いて、山田は窓の桟から降りると足元のテレビの前に移動した。
ブラウン管テレビというものは、本来、画面に触れては危ない製品である。
しかしながら、そんなことはテレビくんの異名を持つ彼の前では関係なかった。
魔法でもかけるように両手を前に出して、指先から画面に触れる。するり。滑るようにテレビの中へ消えた。
最初、テレビの中に入れると言われた時は、何かの魔法かとも思ったが山田にはそんな力はないし、興味もないようだった。
松下は魔法を使うことはできるが、山田と同じことはできない。
それはきっと彼にだけ許された場所なのだと思う。
電気信号が作り出す世界。その世界にあるものをこちら側に持って来ることができる力。
横のトランジスタテレビにノイズが入った直後、ブラウン管テレビから山田が出てきた。
渡された珈琲からは、挽きたて特有の匂いと温かさ。
「松下くん」
「なんだ?」
元の位置に座り直して、ドーナツを齧る山田は幸せそうに見える。
「僕は生きていると思うかい?」
表情は崩れず、問いかける声はいつも通り。
ちらりと山田の足元のテレビを一瞥して、松下は珈琲を一口飲んだ。
画面の向こう側の世界は、過去で構成されている。生中継でもタイムラグが生じるものだ。
そういう意味では過去である。そして、ほとんどが作り物で構成されていた。現実に似た模造品。
「少なくとも僕には生きているように見えるぞ」
「そうかね」
もぐもぐと二つ目のドーナツに手を出しながら、山田は目を細める。
「気にしてるのか?」
「聞いてみただけだよ」
「だろうな」
実際はそうであろうとなかろうと、山田は答えなど求めてないだろう。
彼はちゃんと自分で道を選んでいる。だから、他の人間の答えなど意味がない。
「ところで、僕も魂が半分しかないんだがどう思う?」
「煎餅は半分でも煎餅だよ」
「そこはドーナツじゃないのか」
そう言って口にしたドーナツは想像していた甘さがなく、僅かに驚いて山田を見れば、彼はホホホホッと笑った。
END
[2011/04/17]
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