「ダニエル……確か、そんな預言者がいたな」
「ヒトラーって、あのヒトラー?」

 開店して間もないファーストフード店にて、少年四人は店内隅の席に座っていた。
 最初の言葉を放ったのは、窓ガラスを左手にした席に座る松下という名の垂れ目の少年。次の言葉は松下の右隣、同じく壁を背にして通路側に座る埋れ木という名の温和な少年。

「名前の由来は松下君の言う通りで、埋れ木君のは正解」

 チョコレートの詰まったパイを手に取り、無表情で答える少年――山田は松下の向かい側でそう言った。
 そんな山田の隣に座る話題の人物となっているダニエル・ヒトラーといえば、コーヒーの入ったカップをかき混ぜながら居心地悪そうに座り直した。

 正直、どうしてこんな状況になったのか、ダニエルには理解できていなかった。

 数十分前は山田と二人だけだったのだ。デザート限定100円セールのチラシを見た山田が、メフィストの釣り餌を買いに行こうよと言ったのがすべての発端。ダニエルは勿論付き合ってくれるよね、と山田が服を引いてきたような気がする。
 なんでそうなるんだよとか言いながらもされるがままだったのは、単純に断る理由がなかったというのと、明らかに断ることを許してくれなさそうな上目遣いの二つの理由からだった。

 そうして雪の積もった道を三十分歩いた。辿りついた店内で買い物して帰るのかと思いきや、小腹が空いたとかなんとか山田が言って、確かに暖かい店内にはもう少し居たいなあと思ったからそれも素直に従った。

 さりげなく店内の様子と店員を見定めながら、怪しい奴はいないだろうかと思っていたら、山田が勝手にダニエルの分も商品を注文していた。押し付けられたトレイを運ばされ、向かい合わせに座った。それから数分ほど無言状態が続いて、それも別に苦だとは思わなかったのである。この時点ではまだ日常だった。

 その直後だ。その直後に違う声が割り込んできたのだ。

 あれ、山田くんじゃないと言ったのは、ダニエルの目の前に座る鈍くさそうな少年。その彼の隣で、無理矢理に連れて来られたのかしかめ面だったのが妖気を漂わせた少年だ。
 ダニエルは疑問を浮かべ、名前を呼ばれた山田が僅かばかり雰囲気を柔らかめになって振り返ったのを見た。

 親しい相手であるのは一目瞭然だ。しかしながら、ダニエルはこの二人の正体を知らない。知らなかったから、交互に二人の様子を見ていた。垂れ目な方が明らかに危険な匂いがしたのが気になってしまったのである。
 そうこうしていたら、くいと袖口を引っ張られた。顔を上げればダニエルはこっちと山田の隣を指差され、何の話だと聞き返す間もなく急かされるように移動。

 気づけば何やら一緒に座ることになっていた。聞いてもいないのに山田が二人の少年の名前を教えてくれて、頼みもしないのにダニエルの名前を口にしたのがさっきだ。

「えっと、つまりはヒトラーの子孫ってこと?」

 埋れ木がストローを差し込んだジュースを一口飲む。一度ダニエルに視線を向けて、山田を見た。
「正確には息子だよ」
 山田の答えに埋れ木が目を丸くする。
 隣の松下だけがしかめ面を変えることなく、コーヒーを飲んでいた。

 ダニエルも何口目かになるコーヒーを喉に流し込んで、混乱から抜けつつある頭で目の前の少年二人の名前だけは知っていたことを思い出した。
 二人とも山田の口からよく聞く名前だ。

 ああ、会ってみたいとは思っていた。

 笑わない山田は相変わらず笑わないままだけれども、その空気で関係性はわかってしまうから、どんな奴なのだろうかと考えていた。
「あれ? 息子ってことは」
「その辺りは触れないであげて、ダニエルがかわいそうだから」
「その言い方だとまるで僕が、」
「ダニエルはちょっと黙ってて」
 思わず言い返そうとしたら、テーブルの下で膝を叩かれた。

 相変わらず勝手だな、君は。

「あっ、うん。わかった。その辺は聞かないよ」
 山田とダニエルを見比べて、埋れ木が眉を下げる。
「人見知りで友だちいないから仲良くしてあげて」
 そこは人見知りというわけじゃないと否定したい。

 だいたい、君は無防備というか、相手が敵だったらどうするんだ。

 そんな言葉が頭を掠めたが、口にしたら叩かれそうなので黙っていることにする。
 人間関係というのは意外と面倒で、この場でよけいなことをダニエルが言えば、山田の友好関係にヒビが入りかねない。
 そんなの関係ないと言いたいのは山々だったが、彼がどれだけこの友人を大事にしているのかはわかったからどうしようもなかった。

「友だちいないとか言っちゃ駄目だよ」少し眉を顰めて埋もれ木は言うと、ダニエルに手を差し出した。「よろしくね」
 にこにこと笑みを浮かべる表情とその手を見比べる。それは万人受けしそうな笑顔と行動ではあったけれども、ダニエルとしてはだからこそ気になるものでもあった。
 何を見て仲良くできると思うのだろうか。
 感じた痛みに膝を見ると、山田に抓られていた。

 勝手すぎるだろう。

 ついでに視線も痛い。
 そう思いながら、僅かに小首を傾げる埋れ木の手を取った。ほっとしたように肩を撫で下ろしてありがとうと口にする声はやたらと優しい。伝わる体温は高いような気がする。

 けれども、やっぱり、だからこそ、怪しく見えて仕方がない。

 埋れ木がちらりと隣の松下を見た。
「僕は無理だぞ」
 求められていることを察したらしい松下が、先にそれを口にする。
「もう、松下くんは」
 はあと大きく息をつく埋れ木に、山田は指についたチョコレートを軽く舐めてから松下を見た。

「僕は仲良くできると思うんだけど」

「何を根拠に言っているのか知らないが、向こうも同じ気持ちなんじゃないか」
「だから、仲良くできるんだって」
 同意を求めるような視線を向けられたが、この場は意地でも頷くまいと思う。
 さっきから殆ど黙っている松下は、明らかに見定めるような視線を向けている。その目の奥に僅かに尖ったものが見え隠れするものだから、ダニエルにとって警戒対象になっていた。

「雰囲気が似てるよね」
 同意を示すように頷いた埋れ木が、ハンバーガー片手に微笑む。
「ねー」
 山田が首を傾げて、埋れ木を見た。

 その以心伝心はなんだろうとダニエルは思う。
 山田と埋れ木では雰囲気も話し方も根本的なものが違っているのに、どういう価値観で言っているのかわからなかった。
「ねーじゃない。一緒にするな」
「それには僕も同意見だ」
 不機嫌そうな顔の松下の言葉には、ダニエルも同意してしまう。

「ほら、意見が重なった。価値観が近いってことじゃない?」
 わざとらしく手を叩きながら、山田が言った。
 表情は変わらない。ただ、その声の調子にご機嫌そうな響きが含まれている。

 それが上手くは言えないが、嫌だった。

「近い? 僕は別に戦争がしたいわけじゃないぞ」
「それじゃダニエルくんに失礼だよ」
 松下を素早く諌める埋れ木にを見ながら、ダニエルはコーヒーを一度だけ覗きこんで、小さく深呼吸した。

「いや、その通りだ。僕は破壊するのがいい」

 三者三様の視線を受けながら、ダニエルは言葉を続ける。

「綻びを修繕したところで、別の綻びが現れる。それならいっそのこと全部引きちぎって、新しく作り直してしまった方がいい。紡いだ糸を強固にすれば、誰かに破られることも切れ目を入れられることもないだろう。放って置いてもこの世界は破綻する。それなら、いっそ壊してしまえばいい」

 言ってしまって、気分が和らぐのを感じた。
 ずっと言いたかったことだと確信する。
 山田といる時はそれなりに抑えているものではあるが、本音のところそうなのだ。

「時間をかけて作り上げられたものをそう簡単に破壊していいの? 壊れたものは再び元に戻すことはできないんだよ」

 ぴんと背筋を伸ばして埋れ木が、強い瞳でダニエルを見た。
 反論に笑みが浮かぶ。見た目通りの意見だと思った。
「戻す必要があるのかね? 仮に戻せたとして、それでは繰り返すだけだ。だから、壊してしまうのだろう?」
「それなら、一度の過ちは正せないってこと? それは違うよ。更生することだってできる。誰だって間違える。だから、二度とそれを繰り返さないように学習するために、歴史が存在するんだ」

「では、その歴史を学んでおきながら、相も変わらず兵器も紛争も無くならないこの世界を説得して回るつもりかね? やめときたまえ。すぐに撃ち殺されてしまうのがオチだ」

 温厚な表情が変化を帯びるのを見るのは悪くない。
 相手が山田だと、反論したところで一枚上の答えを返してこられることが多いのだ。

「その辺りについて、山田はどう思っているんだ?」

 黙ってやり取りを聞いていた松下が、不意に山田へ疑問を投げた。
 何かを反論しようとした埋れ木もそれに口を閉じて、視線をダニエルの隣に向ける。

「僕? ダニエルがそれを実行するなら、阻止することを優先するよ」

 一気に視線を集めた山田は、ストローから口を離した。
 この会話の間にさっき手をつけていたはずのポテトを食べ終えてしまっている。
「それができなければ?」
「できなければ、それは必要なことだってことだ。ダニエルが破壊だけだと言うのなら、僕は再生させる役割だってことだよ」
 一度もダニエルに視線を向けずに山田は言うと、呆れたように肩を竦める。

「そんな風にさせないのも僕の役目かもね」

 なるほどとダニエルは思う。できる限り譲歩するのは、山田には恩があるからだった。
 彼がすべて正しいと思っているわけではないが、相手が山田であるなら話を聞く気にもなるというものである。

「松下くんはどう思う?」
 恐る恐る問いかけた埋れ木の笑みは、僅かに強張っているように見えた。
 松下と埋れ木の関係がダニエルにはわからないが、この中ではどこか特別な気がした。
 明らかに周りよりも年下だと言うのに、気を遣っているような気配がないのだ。

「交渉は心掛けるが、無理ならやるしかないだろう」

「だから、そういうのは」
 反論しようとした埋れ木を手で遮った松下は、残ったコーヒーを飲み干すと立ち上がる。
「タイムリミットだ。僕は帰る」
「ちょっと、松下くん!」
「待ち合わせでもしてるの?」
 つかさず声を上げる埋れ木に対して、山田はそこまで気にも止めていないようだった。

「遅れるとうるさいのがいるからな」

「そっちも大変だね」
 どういう意味だろうかと山田を見ていると、松下がため息を漏らした。
「あいつはまだ躾けられてる分、マシだがな」
「それはまた、随分、失礼な言い方だ」
 発言の内容の割に、山田は気を悪くしているようではない。むしろその逆だ。
 動物か何かの話だろうかとダニエルは思っていたが、一瞬だけ松下と視線が合う。思わず睨み返すと、わざとらしく両手を上げられた。

「なるべく、山田とは敵対したくないんだがな」
「それは僕も同じだよ」

 会話はそこで終了らしい。松下が席を離れる前に、残りを食べ終えた埋れ木も立ち上がる。
「僕もそろそろ行くよ。じゃあね。山田くんにダニエルくん」
「気をつけて」
「お前もな」
 軽く手を上げた山田に松下が返して、その間にトレイを片づけた埋れ木と共に二人は行ってしまった。

 この場では見極めきれなかったなと考えていると、肩を叩かれた。
 横を見れば、じっと見る山田の視線。怒っているのがわかってしまったのは、それなりに一緒に居る時間が長いからだろう。

「ダニエル。とりあえず、向こうに座りなよ」

 そう言って、さっきまで松下が座っていた席を指差された。
 思えば、二人が立ち去った後だとこの席の並びには違和感がある。
 できることなら、こういう目の山田と向かい合いたくないというのが本音だった。

 面倒、なんだよな。

 結局、平行線を辿るしかない。どちらかが妥協するなら、ダニエルが妥協する数の方が圧倒的に多いのだ。

 君というやつは、僕やあの悪魔に対しては力を行使するから困ったもんだ。

 渋々ながら立ち上がって、ダニエルは反対側に席を移した。
 飲んでいたコーヒーが空になっていたのを見た山田が、店員を引き止める。

 珍しいことをするもんだと思ったら、彼はシュガースティックを五つ要求した。

 ダニエルがそれをどうする気なのか考えるより先に、上部を破る。躊躇なくダニエルのコーヒーに投入する。止める間なんてないほど手際がよかった。
 僅かに手についたシュガーを払って、山田はダニエルを見ながら腕を組んだ。

「さて、と。さっきの世界についての話だけど、もう一回聞かせてくれないかな。ダニエルくん」

「何かあるならさっきで言えばよかったんじゃないのかい?」
 コーヒーの底に砂糖が沈殿していると思うと頭を抱えたくなる。
「ややこしくなるから黙ってたんだよ。三人でいる時ならまだしも、ダニエルだし」
「僕が邪魔なら言ってくれれば、席を外したんだがね」

「そんなことはしない」

 断言する声に顔を上げた。
「しないよ」
 いつか見たような力強さで言うものだから、何も言えなくなってしまう。
 そういう相手だからこそ、一緒に居てもいいかなと思ってしまうのだ。どんなに我儘で自分勝手だろうと、自分の居場所はこの場所である。

「いずれは紹介しないといけないって思ってたんだ。合うとか合わない抜きにして、知ってもらいたかったんだよ」

「それが理解できないな」
 合わないのなら会わせない方がどう考えても楽だ。有益である。
 適材適所。仮に山田が客観的なアドバイスを求めて会わせるならまだわかるが、そうではないだろう。
「そんなこともわからないわけ?」
 凭れかかっていた椅子から離れて、山田はテーブルに頬杖をついた。

「お互い、長い付き合いになるからだよ」

 その声を聞きながら、ダニエルは思い切ってカップに口をつける。
 思ったより甘ったるくはなかった。それはこの黒い色の底に隠れている。

「僕にはそう思えないがね」
「僕とダニエルの話だよ」

 そんなことは知っていた。けれどもそう口にするわけにはいかない。
 油断すると自分が笑いそうな高揚感を堪えながら、沈殿した砂糖ごと甘ったるい液体を飲み干す。その結果、舌を火傷した。

 なんだか、山田との関係に似ているような気がする。

 痛む舌に顔を顰めて、ダニエルはそんなことを思った。

END

[2011/01/26]