(ノストラ版)
「今日はクリスマスか」
いつも通り、アロンの杖の動きを見ながら距離を測っていたダニエルは、山田の声に視線を僅かに上げる。
カレンダーも時計も意味を無くしたようなこの世界は、ただ太陽と月が回転するのに身を任せるまま、ひたすらに雪を降らせ続けているようなものだ。
いつからだか月日など考えずになっていた。ダニエルにとって肝心なことはそういうことではなくて、目が覚めたその視界に山田がいるかということである。
彼が居るならどこでもよくて、なんだったら他のことなんてどうでもよかった。
辺りを見回す山田の視線を追う。
まばらに見える家々は、ほとんど瓦礫に近かった。僅かばかりに雪に沈んだその下の音を逃がさないように耳を澄ませる彼を見ながら、今日生まれたらしい神様のことを考える。
山田は会ったことあるらしいが、その存在を信じたくはなかった。彼を疑うというよりも山田の呼び名である悪魔くんのことを考えると、憎らしくもなるのだ。
殺し損ねたというのなら、なぜこの世界の責任を彼に押し付けるような真似をするのだね。
存在を許されないから殺すというのに、その存在を救世主とする。
残酷な話だ。本当に。そうでなければ、いっそ僕を殺してくれればよかった
生まれる前の両親とも彼とも出会わない段階で、そうしてくれればよかったのだ。
もっとも、そうなったところでまた他の誰かが同じことをしたのだろう。すべてが天界の企みというのなら、よけいにそうだ。
だから、僕は助けてくれた彼を恨みはしない。
山田が一人でないという理由になれるなら、これほど幸せなことなどない。
「君にあげられるものがあればよかったのに」
勝手に口をついたつぶやきに、山田がぴたりと足を止めた。それに気づかず、肩にぶつかってダニエルは視線を上げる。
「すまない」
「いいよ。僕は何もいらない」
「なぜだい?」
至近距離の視線を見ながら、ダニエルは隣に移動すると疑問を投げた。
「ダニエルには十分与えて貰ってるから」
「そうかね?」
苦しめはしても何かの助けになった覚えなんてほとんどない。
ただ、山田は他人に多くを求めない。悪魔だけが例外なのだ。
「うん」
彼は無表情で頷いて、だからこそ、その真意がいつだってわからない。
気を遣われているんじゃないかとも思うんだがね。
本当に肝心な時の山田は優しい。
「時間は有限なんだよ。ダニエル。」
「人生は短いという話かい?」
人間の一生。それにくわえて、この世界での一生となれば、もっと短くなるだろう。世界が早く安定するなら話は別だ。
「うん……悪いけど、最初から残った時間は全部貰うつもりだから」
意味を理解するのに一瞬だけ遅れた。
真剣すぎる眼差しには嘘もなければ、拒否も許さない強さがあって目が眩む。
「それは、そのまま受け取っていいのかい?」
まるで告白みたいに聞こえたと言ってしまうと、そのまま前言撤回されそうだ。 そう思って黙りこんでみたものの、自分が真っ赤になっているのだけはどうしようもなくて、それに付随する感情でやたらと心臓がドキドキしているのも同じくらいどうしようもなさそうだった。
「そんなにいいものじゃないよ?」
言い難そうに山田が口にする声は、どこか罰が悪そうに聞こえた。
「これ以上にいいものがどこにあるのかね?」
言われなくてもくれてやると思った。それを望むのなら、惜しむものなど何もない。
「ダニエルは馬鹿だね」
肩を竦めて山田は言うと、視線を前方に戻した。
「それは君も馬鹿だということになるのだが、いいのかね?」
君は僕で僕は君だ。
冗談混じりに口にして、慌ててアロンの杖の存在に構えた。
けれども想像していた衝撃はこなくて、一度だけ杖を掴み直した山田は空を見上げる。
「僕は馬鹿だよ。誰の許可を貰ってなくても、全部自分の物にしちゃってるんだから」
「君が我儘なのはいつものことだろう?」
ちらりと一瞬だけ視線が合わさったかと思うと、空を切ったアロンの杖が額に直撃した。
「いったっ!」
押さえて顔を逸らした瞬間、足早に歩き始めた山田の後を慌てて追う。
「……そんな嬉しそうに言われると、困るじゃないか」
「なんだって?」
上手く聞き取れなくて質問すれば、今度は一握り分の雪が顔面に直撃した。
「ダニエル、メリークリスマス!」
「それ、行動と合ってなっ、冷たっ!」
「欲しいものがあったら言ってみなよっ!」
そのわりには言う暇など与えない勢いで、雪玉が飛んでくる。しかもやたらと顔の辺りを狙ってくるのはなぜだ。
「ほ、欲しいもの? って、もうやめ、つった!」
目尻あたりに飛んできた雪が入って擦ると、急に攻撃が止んだ。
これはもしかして、ちょっと悪いことをしたかと思っているのかもしれない。
「目に入った?」
「いや、だいじょ」
気配が近くにあると気づいて、瞼を開こうとしながら顔を上げる。霞んだ視界はぼやけて、次の瞬間に重みと一緒に身体が傾いた。
背中の冷気に顔をしかめて、けれども空気に晒された場所はやけに温かい。
首元に熱風。心臓の音に抱きつかれたのだと気づいた。
「ど、ど、どうしたんだい?」
まさかの展開についていけない。肩口にある色素の薄い髪が風に揺られている。
首元を締め付けるかのような腕の体温に、脳がくらくらしそうだ。
「何でもないよ」
抱きしめ返そうと手を伸ばそうとしたら、顔面を平手で押さえつけて山田が立ち上がる。
「何でもないようには思えないんだがね」
真っ赤になっているだろう鼻の頭を撫でながら、引き止めようとも思うがやめた。多分、またアロンの杖が飛んでくるだろう。
「考えたら、ダニエルに何かあげようなんて発想はおかしいよね」
「……雪玉は大量にいただいたんだが」
「だって、僕が何もいらないんだからダニエルもいらないってことだし」
無視されたが気にしない。
ただ、その発言に対して思うところはあったので、ダニエルは口を開いた。
「君は僕で」
「僕は君だ」
それは、まるで遠い日からの約束のような気がして、笑みが浮かんだ。
山田は相変わらず笑わないが、嫌そうには見えなかった。
「来年はケーキとかでお祝いしたいね」
「そうだね」
再び、前を歩いた山田の隣に並びながら、ダニエルは頷いた。
それが希望的観測の発言ではなく、約束であればいい。
来年がどうであれ、二人で同じ会話ができればと願わずにはいられなかった。
END
[2010/12/26]
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