棒付きアイスは食べ慣れていないせいか、暑さでどうしても先に溶けてしまう。 それをどうにか指先に落ちないように舐めとりながら、向かい側に座る埋れ木の鼻歌に耳をすませた。 彼が音痴なのか、ただ単に松下が知らない曲なのか。わかっているのは今の季節は虫が煩く、座っているだけ汗ばむ季節だということだけだ。 この辺りでは大きい公園の広場の一角に椅子とテーブルがある。どちらも切り株を模したもので形が丸い。とんがり帽子のような円錐の屋根のおかげで影が出来ている分、この円の中だけは涼しかった。森林保護を目指しているのか、辺りの自然は残っているのも一つの理由かもしれない。 「なんか、お礼になってないね。今度はかき氷とかカップアイスにするよ」 苦笑交じりに埋れ木が言う。 相談に乗ってくれたお礼だと駄菓子屋で奢ってもらった小豆アイスは、甘かったが嫌いな味ではなかった。 「そこまでアイスにこだわる理由が知りたいもんだな」 「夏といえばアイスだよ」 食べ終わった棒アイスを片手にもっともらしく言っているが、それを言ったら年中アイスだっていう話もあるぐらいだ。 僕からすれば、四六時中、無糖珈琲だと言いたいぐらいなんだがな。 それだと風情がない。 「もしかしてラムネの方がよかった?」 「珈琲が」 「カフェインは帰っても摂取するだろうから禁止ね」 笑顔で制されてしまった。言い返したいのは山々だが、あくまで感情論でしかないので抑えておくことにする。 今回はただ遊ぼうと誘われたものではない。前回が相談したいことがあるというものなら、お礼もそうだろうが何らかの報告を聞きたくもなるというものだ。 「それで、問題は解決したのか?」 解決していないのなら、また対策を練るべきである。 見たところ、前回の深刻な状況は乗り切ったと思われるが、実際はどうなのかまではわからない。 「うん。大丈夫。この前はごめんね」 呼び出されたのは先週の日曜日だ。途中で降り出した雨には驚いたが、蛙男のおかげで濡れるという事態は避けられた。待ち合わせは今と同じ場所、先に到着していた埋れ木の天気と同じような表情はよく覚えている。傘から落ちる水滴と同じ色をしたものを大きな目に溜めているのを見た時は、どうしようかと思ったものだ。 「僕は何もしてない」 実際、何があったのか聞けたわけでもなく、埋れ木も何も言わなかった。 しばらく雨音と堪えようと必死になった泣き声を聞きながら、屋根の越しのくすんだ空を眺めていた。なぜ自分が呼ばれたのかと考えてみたが、答えは出なかった。ただ、落ち着いてきた埋れ木と晴れるまでどうでもいいような会話をして、それだけだ。本当にそれだけだった。 本当のところお礼も断ったのだが、埋れ木も頑固ではあるので一度そうすると決めたらそうそう諦めることはない。押し問答は一分間。結局は松下が折れた。 「誰かにいて欲しかっただけだから、それでいいんだよ」 もっと他に適任がいるだろう。 言いかけたものを飲み込んだ。適任だと思うその理由こそが、埋れ木にとっては問題だったのだろう。 「本当なら誰にも見られたくなかったんだけど、松下くんならいいかなって」 ごめんね、と本日何度目かのそれ。 「僕はそれでも構わないが、謝るのはよせ」 最後の一欠片を口に入れる。冷たさが口に広がった。 「悪いことしたかなと思って」 どこが、と問いかける前に椅子から降りた埋れ木に手首を掴まれる。 「手、汚れてるよ」 松下くんは変なところで不器用だよね、と彼が微笑んだ。 蛇口から出てきた水は炎天下にあてられていたのかもしれない。熱い。 砂場で遊ぶ年齢の入り混じった子どものはしゃぎ声が、楽しそうに響いている。この太陽光線で元気なものだと思う。 同じ小学生の姿で考えるものではないが。 「呼び出すのは山田くんの特権だよね」 隣に立った埋れ木が遠くを見ながら、そんなことをつぶやいた。 「そんな特権を与えるな。剥奪しろ」 「それは横暴だよ。松下くん」 「いいか、埋れ木」蛇口を閉めて水滴を払ってから、苦笑する埋れ木に視線を向ける。「犠牲者がいるんだぞ」 「メフィストは好きでやってると思うけど?」 何割かはそうだろうと松下も思うが、全部が全部ではないだろう。 正直、よくもまあ、あの山田と付き合えるものだと不思議なぐらいだった。 「松下くんも好きで付き合ってあげているように見えるよ」 「仕方なく付き合ってるだけだ」 頬を汗が滑って、暑いなと改めて思う。おまけに太陽は眩しい。元の日陰に戻るべく歩きだした。 「そういうことじゃないの?」 「腹が立つぞ」 「でも許すんだよね」 それはその状況を好んで受け入れているようで、どうにも引っ掛かってしまう。 「許すとか許さないじゃない」 それ、なんだか山田くんっぽいね。そういう埋れ木の声を聞きながら戻ってきたテーブルには、先程落としてしまったアイスの滴が残っていた。 山田がダニエルに言ったように『僕は君で君は僕だ』などとは思っているわけではなかった。 「ただ、暑いからアイスが溶けるからといって、夏を嫌いにはなれないってだけだ」 「素直じゃないね」 「そういう埋れ木はどう思ってるんだ?」 「山田くんのこと?」肯定を示す頷きにはにかんだ笑顔が返ってきた。「うらやましい、かな」 「山田も同じことを言ってたぞ」 そういう意味ではこの二人は似ているのだろうかとも思ってしまう。 「えっ、そうなの?」 「『ただ、そうなりたいとは思わない』って付け加えられたけどな」 「あはは、僕も」 それは楽しそうに笑うところなのだろうか。 「僕にはよくわからないな」 「松下くんはそういうのはない?」 ないと答えるのは簡単だったが、考える必要はあるように思えた。 「うらやましいわけではないが、神様については考えるな。それぐらいの力があれば千年王国も楽だろうとも思うが、なりたくはない」 「松下くんならなれそうだよ」 「これ以上、遠い者にはなりたくはない」 うらやましいとは別に、普通の子どもだったらと考えることもある。ただ、それは逆に今の自分と離れすぎていて違うなと思っただけだ。 僅かばかり目を見開いた埋れ木の視線に疑問を抱けば、瞼を伏せた彼が小さく息を吐く。 「そうだね」 「埋れ木?」 俯いた表情を見ることはできない。まさか泣いてはいないだろうなと身を乗り出せば、少し日に焼けた両手が両頬を摘まんだ。 「なっ!」 「油断したね、松下くん」 どこの悪役かと思うような笑い声とともに、埋れ木の目が光ったような気がする。 「二世の頬もわりと柔らかいけど、松下くんも負けてないね」 そんな勝負はしていないと言いかけたものの嫌な声が出たので口は閉じる。 かといって、無抵抗なのはよくないと思いながら、埋れ木に対してどうできるわけでもなく足踏みに止めた。にやにやと笑う彼はなんだか別人のようである。 「嫌がられるし怒られるのもわかってるんけど、楽しいからついやっちゃうんだよね」 だからって、それをどうして僕にやるんだ! 数分ほど捏ね繰り回され、満足してもらえたらしい。埋れ木がようやく手を離した。 「ごめんね、松下くん」 またそれか、と思いながら思ったよりは痛くない頬に触れる。向けた視線の先にこの前と同じ瞳を見つけて、違うなと思った。 その『ごめんね』は別のものに対してのそれだ。 「怒るぞ」 「うん。ごめん」 「珈琲」 「ダメ」 そこは譲らないんだなと思いながら、ため息をついた。 「なら、ラムネでいい」 「うん。いいよ」立ち上がった埋れ木に倣うように立つ。「お腹壊しても知らないよー」 「珈琲で胃が荒れたことはないから大丈夫だろ」 「いかに珈琲ばっかり飲んでいるか考えるとそうだね」 「頭が冴えるからな」 「ワサビでも冴えるらしいよ?」 それを笑顔で言われるとなんとも言えない気持ちだ。 「――さっきの理由は聞かない方がいいか?」 「うん。聞かないで」 即答は思ったよりも清々しいものだったので、それでいいかと思う。 結局のところ、解決することが先決であって、その原因や経緯については二の次だ。 「松下くんは神様にはならないでね」 そしたら、会いにくくなっちゃうよ。と埋れ木が笑った。 聞こえた鼻歌はいつか山田が歌っていたそれだった。 END [2012/08/01]
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