夏休みの初日というのはいつもの休日と同じ感覚だ。

 外で虫取り網を手にして走り回っている小学生の楽しげな声を聞きながら、蝉の騒がしい音をバックミュージックに僕はテレビをつける。

 ニュースが今日の気温を告げる。そりゃ、暑いわけだ。画面が切り替わってコマーシャル。季節のせいかビールとアイスクリームが多い気がした。
 二番目のコマーシャルは新発売のチョコアイスだ。何度も見た映像は先が読める。

「あっ」

 急に画面端から見覚えのある少年が現れた。
 確かこのチャンネルはローカルのものだと気づいて、僕は立ち上がる。机においた小銭を一握り、冷蔵庫に予め入れて置いた小袋を取り出した。

「真吾! どこ行くの!」

 水仕事をしていた母の呼びとめる声。暗くなる前には帰るよと告げて玄関に来るとトイレから出てきた妹と目が合った。

「兄ちゃん、おでかけ?」
「うん。いってきます」
「いってらっしゃーい」

 小さく手を振る妹に振り返して、さて捜索開始。


 探し人は恐らく小学生だ。しかし、夏休み期間中なので学校を探し回ることはできない。
 彼は定住する家がないのかホテルを渡り歩いているそうだ。近辺のホテルに聞き込みしてみようと思う。

 何度か同じことをしていた結果、探し人は同じ建物は二度と使わないことがわかった。消去法で回ることにしよう。
 三ヶ月ほど前に近辺のホテルの場所は頭に入れている。地図などなくても大丈夫だろう。

 記憶を探りながら周囲を見回して道を確認。途中で駄菓子屋に寄ってラムネを買った。
 炭酸飲料は爽快だ。液体の中でビー玉が転がる。

 それにしてもタイミングがいい。悪魔のいない夏休みは退屈だったのだ。
 貯めていたお小遣いで奥軽井沢にでも行きたかったのだが、残念なことに悪魔召喚していたことを両親に知られてしまった。面倒事はごめんだとか危ないことはやめなさい。そういう両親には少々うんざりたいものの諦める気ない。ただ、言うことを聞いておかないと更なる制限をされる可能性を考慮した。できるなら妹には心配かけたくないのもある。

 四件のホテルを回ったがどれもはずれだ。今日はやはり無理だろうか。
 まだ冷たいポケットに触れ、小さく唸った。この判断ミスはわりと痛い。
 大きく息をついて、数十分もすれば暮れる空を見上げる。視界の端で角から曲がってきた小さい人影に気づいた。服装を確認。その手元に視線を向ける。

 見つけた!

「テレビくん!」
 あだ名を叫べば、ブラウン管テレビを持っていた少年が振り向いた。
 走り寄りながらポケットに入れた小袋を手に持つ。巻いていたモールを外した。
「久しぶり」
 目を丸くして何かを言おうと開いた彼の口に、指先で摘んだ小さな欠片を投げ込む。
 入って来た異物に対してテレビくん僅かに驚いたぐらいで、吐き出すことはなかった。

「ん、チョコレートかね?」

 肩で息をしながらその様子を眺めて、上手く笑えないのに笑いそうな気分である。

「そう。商品名と産地とか当ててみてよ」

 テレビくんは新商品が大好きだ。お菓子でも食べ物でもお酒だって口にする。
 それならと思っていたのだ。きっと舌が肥えている。何かを渡すにしても普通のものでは満足しないだろう。

「商品名……そうだね」
 突然のクイズにテレビくんは乗ってくれた。
 つぶやくように有名メーカーの名前を三つほど挙げ、どれも違うねとテレビくんの独り言。
「もう一個、食べてみる?」
 小袋を掲げてみせる。保冷剤のおかげでチョコレートは少し柔らかいだけで溶けきってはいない。

「パッケージは開けてしまったのかい?」

 入れていた透明な小袋は、雑貨店で売られていたものだ。
「袋のままだったら問題にならないよ」
「それもそうだね」

 近場のベンチにテレビくんが視線を向けたので、並んで座ることにする。
 どうだろう、わかるだろうか。
 もう一つと手を差し出された。チョコレートの欠片を乗せる。予め一口サイズに砕いておいたのだ。

「原産国、マレーシア、イタリア、ドイツ……日本ではないみたいだね」
「どうだろうねー」
 しきりに首を傾げる仕草を傍で眺めながら、どうなるものかと足をぶらつかせる。
「もう一つ貰ってもいいかい?」
「どうぞ」
 新しく手の上に乗せた。テレビくんが口の中に入れる。閉じた唇。動く頬。

「山田くん、久しぶりだね」

「それはさっき僕が言ったよ」
「そうだったかね?」
 すぐにクイズを出したせいだろう。聞こえてなかったのかもしれない。

「ちなみに一月以来」

「そんなに経つかね」
「経つよー」

 最後に会ったのは三が日を過ぎた後だったはずだ。
 時期外れの神社に来るなんて珍しいと思ったが、考えてみればそれなりに人が多いところだとテレビくんを知っている人が群がる可能性もあるし、何よりそのブラウン管テレビは人込みでは邪魔だからなのかもしれない。
 そのまま声をかけて、少しだけ話した。あけましておめでとうとか、今年もよろしくとかそういう挨拶はちゃんとしたはずだ。

 となると、あれから六カ月ぐらいは経っているということか。

「早いもんだね」
「そういえば、テレビくんって何年生なの?」
「教えてしまうと夢が無くなってしまわないかい?」
「夢?」

「僕が普通の小学生だと山田くんはつまらなそうに思えるがね」

「それもそうだね」
 テレビくんの言うことはもっともだ。
 知らないからこそ面白く、楽しいこともある。

「ところで、ヒントのチャンスはあるかね?」

 さすがに降参なのかテレビくんが眉を下げた。
「いいよ。質問を一つだけ受け付けてあげる」

「これは誰のためのチョコレートかね?」

 なんだ、もうわかってしまったのか。
 質問はきっとそのまま答えに繋がるものだ。

「夢が無くなるから想像に任せるよ」

 柔らかい笑みを向けられて、つい目を逸らしてしまった。
 なんだか悔しい。

「答えはわかったの?」
「どうにも確信がないのだよ」
「本当に?」
 笑いながら頷くテレビくんは嘘をついている気がする。
 それでも悪気あってのことではないのだろう。
「よければ、袋ごとくれないかね? 食べている途中で答えがわかるかもしれない」
 差し出された手に小袋ごと渡せば、テレビくんが満足そうに頷いた。

「それ、おいしい?」
「おいしいよ」

 間髪を入れずに返ってきた答え。ほんの少しばかりの不信感。

「少ししょっぱいがね」

「やっぱり」
 何が失敗だったかはわかっていた。ため息が漏れる。
 味見をするのを躊躇した理由はそれだ。かといって捨ててしまうことなどできないまま冷蔵庫に入れていた。大丈夫だと思いこもうとした結果が今になる。

「僕は好きだがね」

「テレビくんはもっとグルメだと思っていたよ」
 暮れ始めた空を見上げた。夕方はなぜだか別れの匂いがする。
「今のところ、これ以上においしいチョコレートは知らないがね」
 最後の一欠片を口に含んだテレビくんがベンチを下りた。

「そういうのをお世辞っていうんだよ」

 ひねくれた物言いになってしまったが、どうにも納得いかないのだから仕方がない。
 上目づかいで視線を向ける。正面に立つと何かを考えるようにテレビくんは俯いて、それからすぐに笑った。
 いくつであれテレビくんはきっと年上だ。そこで確信する。
 不意に視界が暗くなった。食べてないはずなのに、少しすっぱいチョコレートの味がする。

「贈り物が素敵でないのなら、僕は困ってしまうよ」

 小さなそのつぶやきは今まで聞いた音よりもずっと近い。テレビくんの鼻先が一瞬だけ触れそうになって離れた。

「またね。山田くん」

 何事もなかったようにテレビくんは背を向けられる。僕はまだチョコレートの味がする口を閉じた。
 ベンチから飛び降りる。伸ばした手でシャツの裾を掴む。振り向いた丸い瞳を見た。

「ちゃんとした答えがわかったかどうか、僕は聞いてないよ」
「答えはわからなかったのだよ」

 本当に?

 言葉を飲み込む。
「テレビくんでもわからないんだね」
「山田くんが答えを教えてくれるなら、僕はもう一度食べるために探しに行くのだがね」
 頬を伝って汗の滴が落ちた。手で拭う。目を閉じる。

 こうやって誰かを引き留めるのはいつ以来だろう。

「ごめん。それは今回限定なんだ」
「そうかね。残念だ」

「……秋になったら、ちょっと味が変わって出るかもしれない」

「そうなのかい?」
「うん。だから」小さく呼吸。指をそっと離した。「待ってるよ、テレビくん」
 数歩踏み出したテレビくんの背中を見送る。

 僕も早く帰らないと。

 踵を返そうとしてテレビくんが振り返るのが見えた。小さく手を振る仕草に驚く。反応が遅れた。すぐに振り返す。返って来たのは笑顔。
 軽くなってしまったポケットに残ったのは、ぬるくなった保冷剤とラムネのビー玉だけだ。橙色の空に残された影は一つ。

 けれども不思議とさみしくはなかった。


END
[2012/07/24]