「ハロウィンってさ。お菓子会社の陰謀だよね」
山田が唐突にそんなことを言う。
本日は月末。10月の最終日。アメリカではハロウィンである。
文化が入り乱れる日本において、クリスマスほどはメジャーではないもののデパートに行けば関連グッズはすぐに手に入る。
「同じことバレンタインデーにも言ってなかった?」
ハロウィンに関して冷めた言い方をしつつも、山田の格好は仮装する子どもそのものだ。
黒い帽子に黒いマント。埋れ木からすれば、メフィスト二世でもあり彼の父親のようでもあった。
「そうだっけ?」
山田は素知らぬ顔で首を傾げる。
「何でも陰謀に結びつけちゃ駄目だよ」
「すべては神様の陰謀だ」
しみじみと告げられる言葉は、どこか達観した様子だ。
「いきなりどうしたの?」
「埋れ木君、人間は神様の手の平で動かされている孫悟空にしか過ぎないのだよ」
「あはは、そういう話は嫌いだからやめてよ」
よぎったのは、どこかの仙人たちだ。
彼等は神様というわけではない。けれどもこちらを見定めるような、試すような態度はあまり好きではなかった。
資格云々、言いたくなる気持ちはわかるけど。
「じゃあ、松下君の陰謀ならどう?」
「えっ?」
不意に言われた松下の名前に、思わず間の抜けた声を上げてしまった。
「そういう話は嫌いかな?」
見上げてくる丸い瞳は、今にもトリックオアトリートと唱えそうな気がする。
少しだけ考えて、埋れ木は微笑んだ。
「嫌いじゃないよ」
招待されてもいないのに、勝手に向かう自分たちの行動すら根回ししたという結果であるとするなら――。
「松下くんが僕らに会いたがっているってことでしょ?」
それって凄く嬉しいことじゃないか。
※
てっきり、そのまま佐藤が用意しているだろうお菓子を貰って遊びに行くと山田は思っていたのだが、どうやら違っていたらしい。
迎えてくれた蛙男の後ろから現れたのは、どこかの幽霊一族末裔を思わせる姿の松下で、山田と埋れ木を見るなりそれこそ誰かを彷彿とさせる唇の歪め方をした。
「それじゃあ、行こうか」
この違和感の行き場がないのがつらいところだよ。
「そういや、埋れ木は狼男なんだな」
どこに行くか告げる気のない松下の後に続けば、彼は不思議そうに左隣の埋れ木を見た。
「あっ、松下くんまで似合わないとか言うの?」
待ち合わせの場所で似合わないと言ったのは他の誰でもない、山田だった。
いや、だってねぇ。草食男子の埋れ木君が狼って言うのもねぇ。
「その獣耳は色々と危険じゃないのかと心配になっただけだ」
と思ったら、松下の方から意外な切り返しがきた。
「えっ、松下くんってケモ属性もちなの!」
「なんだそのケモ属性っていうのは」
明らかに嫌そうな顔で睨みつけてくる松下を見つつ、来年は検討しておくかと山田は思う。
松下君って、猫とか好きそうだからそこにしとくのが無難かな。
「獣かー。もふもふってしてるっていいよね」
頬を緩めながら誰を思い出したのか、埋れ木は明らかに嬉しそうだった。彼が獣好きに見えるのは、その周りにいる十二使徒の影響もあるだろう。
松下も使徒の中にフクロウというかミミズクというか、とりあえず鳥がいたことを思えば、冬も暖かそうな気がした。
夜雀だけだと足りないなぁ。
これから訪れる冬に一瞬だけ想いを馳せながら、街を歩く。
こんな格好でも誰も気に止めないのは、人口の多さが原因か今日が特別な日なのか。
所々にオレンジ色が浸食している街も、数日すれば緑と赤の世界に変化するだろう。
寒いのは嫌だな。
毎年思うそれを心の中でつぶやけば、松下が足を止めた。
「ここって、ホテル?」
埋れ木のつぶやきに顔をあげれば、やたら高級そうなホテルが目の前に建っていた。
驚く庶民の二人を引きつれて、金持ちの坊ちゃまは一人ですたすたと先へ進む。
一階ホールの真ん中には針金細工のようなスーツのカボチャ頭。ジャック・オ・ランタン。機械仕掛けのそれはぎこちなく右に左に動きながら、恭しく頭を下げていた。
当たり前のように松下は目もくれず、埋れ木は何かを言いかけてやめる。多分、ジャック・オ・ランタンについて何か説明をしようとして、この場にいる二人には不要だと気づいたのだろう。
講釈一つぐらい聞いてあげてもいいんだけどね。
山田としては、エレベーターの前でお菓子をくれた姉さんの化粧の方が気になった。
肌荒れするタイプだよ。あれ。
よけいな心配だけどねと自分につっこんで、長い箱に乗る。あまりにも階数が多かったので、雲の上に行けそうな気がした。
「このまま楽園にでも行けたらいいね」
「天空の楽園に行きたければ、清里高原ホテルにも行くんだな」
「わあ、すごくお手軽な楽園だね」
松下の切り返しに棒読みで答えれば、埋れ木が小さく笑った。
「でもあれだよね。楽園って行くところじゃないからね」
「ないから作るんだろ。天界にしか存在しないのは不平等だ」
何度か止まってエレベーターには、その度に人が乗っては降りる。その繰り返し。
「その姿で言うと信憑性が薄いよ」
途中で乗って来た子どもが松下を指差しながら何やら喜んでいたようだが、松下一郎にサービス精神はないのでスルーである。
「それは国民的ヒーローに失礼だと思うよ」
山田の言葉に重ねるようにして、埋れ木が告げた。
それは同じ立場の存在だから言えることじゃないのかなとも言いかけたが、それを松下の前でいうのもなんだか可哀想な気がしてやめる。
「松下君はそのヒーローに勝ったんだもんね」
「勝った、というのも少し違うがな」
その辺の話は気になるところであったが、先に降りる階に辿りついてしまったようだ。
扉が開くなり、松下は赤い絨毯の敷かれたカーペットに足を踏み出す。
「25階だと下を見るのが怖くなりそうだね」
「そうだな。落下するのはいい気分じゃない」
「……ごめん」
「ああ、埋れ木君が松下君のトラウマスイッチ押したー」
「お、押してないよ!」
「トラウマとか言うな」
部屋番号を目で辿りながら歩く松下の後ろでひとしきり埋れ木をいじれば、彼は半泣きになってしまった。
うん。僕は結構、浮かれているみたいだ。
あんまり顔には出てないだろうけど。
松下が足を止めた。プレートの番号は、2525。
ニコニコなんて凄いごろ合わせだ。
どうやら、この部屋に用があるらしい。
受付で鍵のやり取りがなかったのを見ると、この部屋に止まっている相手に用があるのだろう。
「あっ、もしかして」
何かわかったのか埋れ木が声を上げる。
松下のノック音は三回。
扉はすぐに開いた。
「ほひぃらひゃま?」
出て来たのはボーダーのシャツを着けた少年。
その右手にはオレンジ色のソースがかかったドーナツ。ついでに言えば、彼の口元もオレンジ色だった。もぐもぐと丸みのある頬を動かしていると、どうやら食事の最中だったらしい。
やっぱりテレビくんだ。と、隣で埋れ木が声をあげて、彼の正体を思い出した。
テレビに映り込む変わった少年。あだ名はテレビくん。
「Trick or Treat!」
間髪も入れずに松下が今日にお似合いの言葉を口にして、手を差し出した。
テレビくんと言えば、食べていたものをごくりと飲み込んでへらりと笑う。
「You scared me!」
「……怖いことなんて何もしてないだろ」
予定外の答えだったのか、松下は僅かに唇を尖らせた。
「松下くんがそんなことを言うのは怖いことだと思うのだがね。あと、友だちを連れて来るなんて驚きだ」
そう言いながら山田と埋れ木を見る目が輝いているように見えたのは、好奇心だろうか。
「いいからお菓子をよこせよ」
「松下くん、なんでそんな必死になってるの?」
「人が珍しくイベントに興じたんだ。手ぶらで帰るのは納得いかないだろ」
「負けず嫌いだ」
「お前には言われたくない」
山田が小声でつぶやいたそれは聞こえていたらしく、松下が再び眉を潜めた。
「まあまあ、ちゃんとお菓子はあげるよ。お客さんなんて久しぶりだ」
口笛を吹きながら、テレビくんは扉を開けた。
部屋の中は宿泊施設というよりもお菓子売り場のようだった。
和洋関係なく置かれたお菓子は数種類を覗いて、どれもハロウィン仕様。手ごろに買えるものもあれば、高級そうなものなど様々だ。
「うわあ、凄い」
感嘆の声を漏らす埋れ木の横でホホホと不可思議な笑い声をあげるテレビくんは、新たなドーナツに手を出した。
「好きに食べていいよ。埋れ木くんに山田くん」
「僕らのこと知ってるんだ」
「こいつ、生きるアカシックレコードだからな」
山田が言えば、テレビくんから珈琲を受け取った松下が答えた。
「アカシックレコード? 未来も過去も全部書かれた記録だっけ?」
ケーキをワンカット摘まみあげた埋れ木が言う。
そういえば、そういうものがあったなとおぼろげな記憶で思った。
「元はルドルフ・シュタイナーが提唱した――」
「あー、難しい話はやめよう、松下くん。僕はそんな大層な存在ではないよ」
「テレビに入るなんて、大層な存在だ」
「悪魔を従えちゃう君たちに比べれば、僕はちっぽけだと思うがね」
気づけば、彼の手には大きな煎餅が握られていた。
ドーナツタイムは終了らしい。
「そうでなくても、だいたいの事象は覚えているんだろう?」
「興味あればね」
「予言とかはできるの?」
頭によぎったのはノストラダムスの存在だった。
今思えば、彼の予言は見たままを記していただけに過ぎないとわかるが、そんなことを知らない人類からすれば予言には違いないのだろう。
「予言か。あまり未来に興味があるわけじゃないのだよ」
気だるげというよりも呑気に話す口調は、ケセラセラが似合いそうだ。
「もったいねぇよな」
「必ずしも明るいとは限らない未来について憂うよりも、こうやってお菓子食べているのが平和だと思うがね」
「太るぞ」
「メタボリックと呼びたまえ」
「開き直りやがった」
甘そうなお菓子をよけて、珈琲飴を見つけた松下が肩を竦めた。
「ホホホホッ。お菓子を食べられるのは幸せなことだと思うがね」
考えて見れば、メフィストもチョコレートを食べる時は幸せそうだ。
気づかず手に取ったチョコレートは中にカボチャのソースが入っていて、不思議な味がした。
※
夜も遅くなると両親に心配をかけるだろうからと埋れ木が帰ったのが夕方で、その二時間後に連絡が入った山田が迎えに来たダニエルと一緒に帰って行った。
名残惜しそうな口調のわりにダニエルのことが気に入っている山田は、迎えに来てもらえたことを喜んでいるようだった。全く、ダニエルには伝わってないようだったが。
「それで、君はいつ帰るのかね?」
「なんだ、帰って欲しいのか?」
ほとんど食べ終えてしまったお菓子の袋は、帰る間際に埋れ木が片づけてくれたのであまり散らかってはいない。
「そういう意味ではないのだがね」
点けっぱなしのテレビから聞こえる陽気な音楽とオレンジ色のパレード。アメリカのどこかの映像らしい。
「なら、いいんじゃないのか?」
「これから彼も来ると思うのだが、いいのかね」
「彼?」
寝転がっていた身体を起こして言えば、テレビくんこともう一人の山田は飴玉をくわえて微笑んだ。
「今の君の格好みたら、どう思うのか気になるのものだね」
「あー、鬼太郎か。めんどくせぇな」
笑われるか嫌みの一つでも言われるか、どちらかだろう。
「向こうは向こうで色々あるだろうから、夜遅くにはなるだろうね」
「じゃあ、もうちょっと遊んで帰るかな」
「そうかい」
それ以上、山田は何も言わなかった。
あまり口数が多い方ではない彼は、テレビを見る横顔を見る限り無感情そうに見えて、食べ物を口にする時は驚くほど幸せそうに見える。
甘ったるい匂いは好きではないが、不思議とこの緩んだ空気にいるのは悪くないというのが本音だった。
つい寝てしまいそうなことだけが欠点だ。
「また気軽に来たらいいさ」
何の前触れもなく山田が口にする。
その横顔を見ながらタイミングを図るのが下手なんだろうなと思うと、笑みが浮かんだ。
「住所特定するのが面倒だからな。来て欲しいなら、引っ越しする度連絡しろ」
「そういうのは面倒だから、僕が松下くんのとこに行くのが早そうだ」
「そうしてくれ」
「あっ、忘れてた」
思い出したように振り返った山田が、埋れ木とは違う柔らかな笑みを浮かべる。
「Trick or Treat!」
差し出された手に、ポケットから取り出した手の平サイズの箱をその手に乗せた。
「Happy Halloween!」
何か貰えるとは思っていなかったらしい山田は、ただでさえ丸い瞳をよけいに丸くした。
包装も何もないシンプルな箱を前に、蓋を開けて中を覗く。
「見たことのないクッキーだ」
中身を一つ手に取り掲げる仕草は、珍しいものをみる子どもようだ。
「売られているもんじゃないからな」
ただのかぼちゃクッキーではなく、かぼちゃの形をしているのも見た目としても面白い。
「非売品だね」
「味の保障はしないぞ」
そう言った傍から、山田はすぐに口の中に放り込んだ。
ああ、本当、おいしそうに食べるよなぁ。
「おいしい」
「そりゃ、よかった」
ほんの些細な好奇心で試しただけのものではあったが、甘くはないそれを他の二人にあげるのは気が乗らなかったのだが、基本的に好き嫌いがなさそうな山田なら平気そうだと思ったのである。
「では、僕も今度会う時までにおいしい珈琲の淹れ方でも勉強しておくよ」
「気長に待つことにするさ」
そろそろ時計の針が深夜に近づく頃だ。
厄介な人物に会う前に帰るかと立ち上がったところで、ノックの音。
「うわあ」
「どうやら遅かったようだね」
冷蔵庫からお酒を引っ張り出して来た山田は、楽しげにそう言った。
どうやら、夜が明けるまで帰るのは難しそうだ。
END