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(『ツノウサギ』の続き) 「相変わらず、振り回すだけ振り回すじゃりだ」 バリボリと両手にチョコレートを持つメフィストは、言葉のわりに上機嫌だ。 よくもまあ付き合ってくれるものだと、頭の片隅で考える程度には思っている。 ダニエルは目覚めて状況を知るなり、膨れ面とはいかずとも不機嫌そうに黙り込んだままだ。 それでも背中合わせでいるのは、気温が相変わらずの氷点下だからである。 すべてのきっかけは山田だ。それもほんの好奇心と期待だった。 エホバの鏡はダニエルから渡されて、一度だって使った事がなかった。それはダニエルにも言えることで、使おうと思えばいつだって使える位置にそれはあった。 誘惑とも言えたのかもしれない。 過去に行くことができれば、未来を変えられるかもしれない。未来に行けるなら、その回避することができるかもしれない。 そんなもの繰り返したところで、ダニエルとの対決は神様の用意したものだから変えられやしないだろう。 ただ、僕が僕になる前に行けるのかもしれない。 そんな風に唐突に思いついて、夜中に一人でこっそり試した。 当たり前のように成功した。けれども、山田の過去とは少し違っていたのだ。 記憶違いの可能性も考えた。何しろ、あの頃から色々あったのである。 僕は今を覚えるので精一杯だ。 「振り回されてたのは、ダニエルだけだよ」 エホバの鏡を眺める。ダニエルは振り向かなかった。 怒らせるのはわかっていた。意外にも最初に考えたのはそれだった。 「いっそのこと、あの世界を選べばよかったんじゃないか」 投げやりに返って来た言葉。肩越しに視線を向けた。 「どうして?」 「あの世界の君は、今の君よりずっと自由だった」 「幸せに見えた?」 僅かに強張る背中に、山田は体重をかける。 「幸せの定義ってなんだろうね」 比べるものがなければ、どちらが幸せなのか判別できない。 この世界を知らない時の山田にとって、メフィストがいない世界は不幸ではなくとも窮屈だったのだろう。 当たり前だからこその日常。明日も、明後日も同じ世界を信頼していた。 そうして日常を消費して、気づけば全部過去になっているような感覚。 「――家族がいること」 ぽつりとつぶやかれたダニエルの声に、山田は目を閉じた。 目を開くと見覚えのある道に居た。 見上げた空は青く、雪とは無縁そうな温度に暑いとつぶやいて、山田は改めて周囲を見回した。エホバの鏡の使い方をちゃんと知っていたわけではないが、上手くいったのかもしれない。 本来なら、『見慣れた』と表現すべきだった道。今では懐かしい道だった。 学校帰りの丁度、中間地点。この道をしばらく真っ直ぐに言って、五番目の角を曲がってけもの道を辿れば、いつかメフィストを召喚しようとした場所がある。 魔法陣は今でも残っているだろうか。 見に行こうかとも思ったが、寄り道はやめることにした。 今日は真っ直ぐ帰ろう。 情報収集して、この世界が本当に自分の知っている世界なのかどうかなんてことは、興味はあれど後回しだった。 最初に行く場所は決まっている。 「あっ、悪魔くん!」 背後から声を掛けられて、山田は振り向いた。 通り過ぎた駄菓子屋から、ちょうど貧太が出てくるところだった。 「やあ、貧太くん」 「やあじゃないよ。こんな時間に珍しい。図書館通いはもうやめたのかい?」 この世界に山田真吾が居て、彼が悪魔くんであることはこれで確定した。 図書館通いということは、何かを探しているのだろうか。 「やめたというわけではないというか」 そもそも、彼はよく似ていても別の人間だ。ノストラダムスと関わる前の自分。 「なんだか含みのある言い方だな。まあいいや。その様子だと今日は落ち着いているみたいだし」 「落ち着いてる?」 「いつもはもっとピリピリしてるじゃないか。気持ちはわかるけど、ソロモンの笛がなけりゃ召喚したところで意味ないんだから、諦めなよ」 驚いた。それはつまり、メフィストと一緒に居ないということか。 「諦めた方がいいのかな」 世界のこと、もう取り戻せない過去のこと。 「どうしようもないんだろ? 過去を追いかけたって何も変わらないって」 「変わらない、か」 「そうそう。僕はメフィストとの生活でわかったよ。今が一番いいんだって。貧乏だって馬鹿にされたって、変な化け物に殺されそうになるのに比べたらよっぽどいいよ」 「ごめん」 「えっ、別に悪魔くんが悪いって言ってるんじゃないよ! ただ、メフィストが居なくなってから、たまたま何も起こってないだけだってことなんだから」 それはフォローにはなっていないとは思ったけれども、何も言わずにおいた。 「貧太はこれから帰るところ?」 「えっ。ああ、母さんにおつかい頼まれてるから、それに行って帰るよ」 駄菓子屋なんて珍しいなと思ったら、どうやら買い物ついでにお小遣いももらえたようである。 「あまり遅くなったら駄目だよ?」 「それを悪魔くんが言うのかい?」 苦笑しながら貧太は言って、片手を上げた。 「悪魔くんこそ、あんまり親に心配かけるなよ」 こういう時、曖昧にでも笑えればなぁと思いながら何も返さずにいると、貧太はそのまま行ってしまった。 「今が一番」 多分、それが正解かもしれない。 変えるということは、何かを壊すということだ。 背中に隠し持っていたアロンの杖をくるりと一回転させる。 「重いなぁ」 改めて考えてみるとそんな風に思った。 とりあえず、情報屋と鉢合わせないようにしようと決めて、再び歩き出す。 きっと彼はアロンの杖に興味を示すはずだ。それはとても面倒である。 恐らくは、一から十まで聞かれる。それどころか、ずっと付きまとわれそうな勢いだ。 景色を見ながら、いつもよりもゆっくりとした速度で進む。 こうして、物や木や人の通り過ぎる景色というのは、今まで気づかなかっただけでこんなにも新鮮なんだなと実感した。 しばらく歩いて記憶通りの家に着く。表札を確認した。 メフィストが居ないと聞いてもしかしたらと思ったが、幸い家の場所はそのままのようだ。 これで出て来た人が違う誰かだったらどうしようかと言い訳を考えてから、山田はドアノブを回した。 「兄ちゃん! おかえり!」 開けるなりすぐに声をかけられて、反射的に後ろに下がってしまった。 「み、道子?」 玄関先にいるとは思わなかった。 僅かな記憶とちっとも変らない妹は、じっと山田を見上げて小首を傾げる。 「ただいま」 慌てて挨拶を返して、笑顔に見えるよう表情を緩めれば、なんだか残念そうに道子は唇を曲げた。 「なんだ。兄ちゃんじゃないんだ」 「えっ」 「もしかして、また悪魔のおじさん? そうやって気にするなら、兄ちゃんに会いに行けばいいのに」 悪魔のおじさんというのは、思いつく限りメフィストしか考えられない。 しかし、それよりも。 「なんで、兄ちゃんじゃないってバレたの?」 それは間違っているし、正しくもある答えだ。 妙に複雑な心境になりながら言えば、道子は瞬きする。 「そっくりだけど、全然違う」 どこがとも思ったが、聞く勇気はなかった。 「兄ちゃん、また遅くに帰って来るのかなぁ」 俯く道子はどこか悲しそうに映って、妹はこんなに心配症だったかなと山田は思ったが、それならと手を打った。 「それじゃ、僕が探して来るよ。今の僕を見たらびっくりして、家に帰りたくなると思うよ」 「いいの?」 「いいよ。道子を悲しませるなんて、兄ちゃんは悪いやつだ」 会えて、元気そうならそれでいい。なんだったら、楽しそうでいて欲しいと思う。 「でも、兄ちゃんのこと好きよ。あんまり遊んでくれないけど、困った時は助けに来てくれるもの」 それはいつかのことを言っているのだろう。あるいは、それ以外にも助けてもらったのかもしれない。 そうやって、ヒーローみたいな存在で守り続けられればよかった。 「――頭、撫でてもいい?」 山田の問いかけに道子は首を傾げて、不思議そうな顔のままこくりと頷いた。 そっと触れると生き物の温かさ。柔らかな髪を撫でて、目を細める。 「ごめん」 「どうして謝るの? 悪いことしたの?」 「したよ。きっと許してもらえないようなこと」 「ふぅん。じゃあ、兄ちゃんが無事に帰って来たら、許してあげる」 「道子は優しいなぁ」 「兄ちゃんはもっと優しいよ」 道子は自慢げに言って、はにかむように笑った。 本当、兄ちゃんは悪いやつだ。 あんなハゲ悪魔追っかけている場合じゃないよ。 「ダニエルのこと、考えたんだ」 沈黙の間の回想を終える。 何の話だとダニエルが少しだけ顔を向けた。 「僕が居なくなったら、ダニエルはどうするかなって」 探し回るか、厄介な相手が居なくなって自由を喜ぶのか。 前者なら、山田は向こうの世界のもう一人と同じことをしている。 誰かに心配かけさせて、自分のやりたいことをやって、それに気づかずに進み続けている。 「ごめん」 「許す許さないもないんだろう?」 「それは僕の言葉だよ。ダニエル」 「……矛盾したことを言う」 「ダニエルだって、僕のこと本気で殺そうと思ってたくせに」 「許せなかったんだ」 「僕も僕自身が許せなかったよ」 あの世界ではなく、今の自分が。 「……君なんて探さなければよかった」 逸らされた視線の先で、ダニエルが小さくつぶやいた。 「それならそれで、どうにか帰ってくるだろうよ」 先程まで黙っていたメフィストが楽しげに言って、食べ終えたチョコレートの銀紙を丸める。 「根拠は?」 ダニエルが疑いの目を向けた。 「誰かになろうなんて無理な話だ。この世界の真吾は、この世界でしか生きられない」 「なんか、全部知ってるみたいな口調だね」 「考えなくてもわかることだろ。なんだかんだで見捨てきれないのが、真吾の馬鹿なところだ」 「馬鹿かな?」 「厄介な方向に行きたがるのは馬鹿だな。おれを巻き込むんじゃねえ」 「巻き込むも何も、大して役には立ってないだろう」 ダニエルが眉を潜めたまま、メフィストを見る。 山田のいない間、二人がどういうやり取りをしていたか定かではないが、それだけでまともな会話ではなかったであろうことは推測できた。 「ふん。じゃりにわかってもらおうなんて思っちゃいねえよ」 「でも、ダニエルが思っているよりいい悪魔だよ。ちょっと素直じゃないだけで」 「おい。いい悪魔なんて嫌な表現を使うな」 「素直じゃないと肯定的にみたところで、こいつにはそもそもやる気はなんてないだろ」 「本当はメフィストにとって、世界も僕らもどうでもいいことだって言うのが、正しいだ。ソロモンの笛があるからとはいえ、協力してもらえているなんて奇跡だよ」 「真吾……今日のお前は気持ち悪いな」 「嘘じゃないよ。メフィストがいなかったら、僕はきっと死んでた」 「そう言っても居なかったら居なかったで、どうにか上手く行くだろうよ」 確かに前例はある。けれどもダニエルとの一件に関しては、メフィストなしでどうにかできたとは思えなかった。 「そもそも君は一人でも生きていけそうだ」 「……やっぱり、今回の件まだ怒ってるの?」 「思った事を言っただけだ」 「怒ってると思うなら、しばらくおれを呼ぶな」 ダニエルに続けるようにメフィストは言うと、魔法陣に戻ろうとする。 それに素早くマントを掴んで、山田は悪魔と片割れを見た。 「僕はここがいい。失ったものもあるけど、取り戻せないけど、それでも」 離れないように指に力を込める。背中の温度を確認しながら、一つ頷いた。 「それでも、ここにはダニエルとメフィストがいる」 道子に見破られてしまった時、ああこれはきっと罰なのだと思った。 万が一でも世界を乗っ取ろうとしても、できないようにできているのだと気づいた。 けれども神様っていうのは、そこまで性格が悪いわけではなくて、こうして手元に魂を二つも残してくれた。 弱くなんてない二人。次は簡単に失うことがないように、だ。 「これが僕の世界だ」 誰にも渡さない。 「まるで神様気取りだな」 呆れたようなため息に混ぜて、メフィストが言う。 「少なくともソロモンの笛さえあれば、メフィストは思い通りだよ」 「悪魔はいいとして、僕がいつまでもついていると思わないでくれないか」 「行くあてでもあるの?」 「君の傍じゃないところなら、いくらでもある」 「それなら、ダニエルが帰りたい場所は?」 ふいと視線を逸らされた。 いつか、ダニエルも誰かの傍を見つけるのかもしれない。 それなら、ミカエルでいて欲しいな。 他の女の人ではなくて、あの純粋で強い少女であればと願う。 それなら、僕も諦めていいと思えるよ。 本当はこのままでいたいが、それだって世界と同じだ。いつまで続くかわからない。 「……そうだね。家族がいるところがいいよね」 けれども家族にはなれないのだろう。今のままでは。 「君の帰りたい場所はないのかい?」 そういうダニエルの声を聞きながら、メフィストのマントを引っ張る。 不機嫌そうな顔のままそれでも逃げない理由は、ソロモンの笛に手を触れているからだろう。 「温かいところかな」 「同感だ」 その言葉に振り向けば、ちょうどダニエルも振り返ったところだった。 一瞬の視線が交錯しただけですぐに逸らされてしまったが、なんだか嬉しい。 「メフィストー、火を起こして!」 「おれがやるのか!」 「魔力!火炎放射―!」 「おい、やるとは言ってないだろ!」 「やらないと吹く」 「この悪魔が!」 「薪もよろしく」 「それぐらい自分でやれ!」 「やらないと吹く」 「このじゃりっ!」 「文句言いつつも行ってくれるんだな」 走り出たメフィストの後ろ姿を見送りながら、ダニエルがつぶやく。 「それがメフィストのいいところだよ」 「君にだけだろ」 「そうなの?」 「……もういい。君と居ると疲れる」 「僕も疲れちゃった。ちょっと寝るから、メフィストが戻ったら起こして」 「まさかこのまま寝る気かね?」 「ダニエルの背中は居心地がいいからね」 答えはなかった。それより先に瞼を閉じたからかもしれない。 引きずってくるような睡魔に思考が揺れる。 次に目覚める時、何も失くしていませんように。 「本当にそう思うのなら、どこにも行かないでくれ」 END [2011/06/17]
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